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長崎地方裁判所 平成8年(わ)125号 判決

主文

被告人を懲役一年に処する。

この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和三六年一〇月に長崎県警察に採用されて巡査となり、昭和五一年三月に巡査部長、昭和五八年三月に警部補にそれぞれ昇任し、平成六年三月からは長崎県警察本部刑事部暴力団対策課暴力犯捜査第一係長として勤務していたものであるが、平成七年九月二〇日、長崎県早岐警察署が検挙した暴力団関係者Aらによる恐喝事件の捜査のため同係巡査部長Bとともに同署に応援派遣され、主犯格である右Aの取調べを担当していたところ、けん銃の摘発、押収の実績を上げるため、右Aが隠匿所持していたけん銃等を発見して領置したかのように装うべく、新たにけん銃等を入手しようと企て、右A、長崎県早岐警察署刑事課長であったC及び同課知能暴力犯係長であったDと共謀の上、法定の除外事由がないのに、同年一〇月九日午前一一時ころ、同県佐世保市〈番地省略〉所在のロイヤル株式会社ロイヤルホスト佐世保店駐車場において、Eから回転弾倉式けん銃一丁及び薬きょうの長さが四一・〇ミリメートル以下で、薬きょうにかかるきょう体の最大外径が一五・〇ミリメートル以下のけん銃実包九個を譲り受けたものである。

(証拠)〈省略〉

(法令の適用)

被告人の判示所為のうち、けん銃を譲り受けた点は刑法六〇条、銃砲刀剣類所持等取締法三一条の四第一項、三条の一〇に、けん銃実包を譲り受けた点は刑法六〇条、銃砲刀剣類所持等取締法三一条の九第一項、三条の一二、同法施行規則三条の二にそれぞれ該当するところ、右は一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として重いけん銃譲受けにかかる銃砲刀剣類所持等取締法違反の罪の刑で処断することとし、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役一年に処し、情状により刑法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予することとし、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により全部これを被告人に負担させることとする。

(争点に対する判断)

一  弁護人は、真実は他から新たに入手した本件けん銃及び実包をAが隠匿所持していたかのように偽装して領置したことについて、その責任は、捜査主任官であった早岐警察署刑事課長Cが最も重く、被告人は同課知能暴力犯係長Dと同等の責任を負うに過ぎず、さらに、右偽装工作には当時の早岐署長や被告人の直属上司であった長崎県警察本部刑事部暴力団対策課課長補佐Fら幹部が組織ぐるみで関与していた疑いが濃厚であるにもかかわらず、検察官は被告人のみについて公判請求したものであり、かかる不公平な公訴提起は、刑事訴訟法二四八条に定める訴追裁量権の範囲を逸脱した違法なものであって、同法三三八条四号により棄却されるべきであると主張する。

しかし、公訴の提起が訴追裁量権の範囲を逸脱した違法なものとなるのは、公訴提起自体が職務犯罪を構成するような場合に限られると解するのが相当であるところ、弁護人の所論は、検察官の訴追裁量権の行使が相対的にみて不公平であるというに過ぎず、右のような極限的な場合に当たらないことは明らかであるから、それ自体失当である(なお、弁護人は、右所論を情状としても主張するので、後記「量刑の理由」においてこの点についての判断を示すこととする。)。

二  弁護人は、本件公訴事実は、被告人がAらと共謀して本件けん銃等を譲り受けたというものであるが、被告人は、右譲受けについてAと共謀した事実はなく、AがEから本件けん銃等を譲り受け、次いで被告人らがこれをAから譲り受けたものであるから、本件公訴事実について被告人は無罪であると主張する。

しかし、関係各証拠によれば、本件当時、Aは、代用監獄である早岐警察署に接見禁示命令が付された状態で勾留されていたものであり、被告人ら警察官の完全な支配下にあったこと、かかる状況下において、被告人がAにけん銃等の入手を慫慂し、その結果Aがその入手を決意したこと、Eとのけん銃譲受けの交渉、譲受け代金の手配、けん銃等の受渡し場所への移動と受渡しは、すべて被告人ら警察官の承認なくしては不可能であり、その承認のもとに実行されたものである上、これらのことを譲渡人であるEも認識していたこと、したがって、AにはEから入手したけん銃等について独自の占有も処分権もなく、現実にも、本件けん銃等は入手後直ちに被告人らの手に渡っていること、以上の事実が認められ、これらの事実関係によれば、本件けん銃等の譲受けがEと被告人ら警察官の共謀によるものであることは明らかである。

弁護人の主張は採用できない。

(量刑の理由)

一  本件けん銃等偽装押収工作の経緯及び関与者の責任

弁護人は、前示のとおり、本件けん銃等偽装押収工作は長崎県警察本部の幹部らも関与して敢行されたもので、いわば長崎県警察による組織ぐるみの犯行であり、被告人の責任は、捜査主任官であったC課長に比して軽く、D係長と同等とみるべきであると主張するので、以下検討する。

1  関係各証拠によれば以下の事実が認められる。

(1) 被告人は、平成七年九月二〇日、長崎県警本部刑事部暴力団対策課(以下「暴対課」という。)からB巡査部長(以下「B巡査部長」という。)とともに同県早岐警察署で検挙した暴力団関係者Aを主犯格とする恐喝事件の捜査のために応援派遣された。右捜査においては、早岐警察署刑事課長C(以下「C課長」という。)が捜査主任官となり、同課知能暴力犯係長D(以下「D係長」という。)が現場の取りまとめ役となり、B巡査部長が逮捕されたGを、同課知能暴力犯係主任H巡査部長(以下「H巡査部長」という。)が逮捕されたIを、D係長が在宅のJを、被告人が逮捕されたAをそれぞれ取り調べることとなった。

(2) 被告人は、平成四年四月以降暴力団犯罪の捜査に専従するなど暴力団犯罪の捜査の経験が豊富で、しかも、平成七年六月二〇日警部昇任試験に合格していたのに対して、C課長は、警察学校への入校は被告人よりも半年早く、平成五年三月に警部に昇任したが、暴力団犯罪の捜査の経験は少なく、D係長は、被告人と同じく警部補であったが、警部昇任試験には合格しておらず、かつ、暴力団犯罪の捜査の経験も浅かった。

(3) Aは、平成七年九月二二日、恐喝の被疑事実で勾留され、同時に接見禁止命令が付された。

(4) 被告人は、同月二〇日から、長崎県警察本部が設定したけん銃等取締月間が始まり、けん銃等の検挙実績を上げるよう督励され、また、同本部生活安全部長によって設定された早岐警察署における平成七年度のけん銃押収努力目標数が一丁であるのに未だけん銃を押収した実績がなかったことから、暴力団関係者でけん銃を所持している可能性のあるAからけん銃を押収して、被告人自身や早岐警察署の実績とするとともに、部下であるB巡査部長やH巡査部長に警察本部長表彰を受けさせたいと考えていたところ、同月二五日ころ、H巡査部長が、Iから、「Aは、今回逮捕されなかったら、壱岐にいる知り合いからけん銃を受け取ることになっていた。」との供述を得た。そこで、被告人は、右恐喝事件の取調べを終えた同月二九日以降、Aに対してけん銃との関わりを追及し、けん銃所持を否認する同人に対し、同人が暴力団関係者であるから、起訴されるかどうかが微妙であり、暴力団から脱退する証としてけん銃を提出すれば、検察官も信用する、起訴されても裁判官に情状として評価されて刑が軽くなるなどと述べてけん銃を提出するよう説得した。Aは、覚せい剤取締法違反の罪で懲役一年、三年間保護観察付き執行猶予に処せられた前科があり、その猶予期間中に右恐喝罪を犯していたため、けん銃を提出することによって恐喝罪の起訴を免れ、起訴されても量刑上有利になるものと思い込み、長崎県壱岐郡勝本町に居住するKから、Aに対する債務の弁済に代えてけん銃一丁を渡すと言われていたことから、同年一〇月二日、被告人にその旨を述べ、「Kからもらうことになっていたけん銃を自分が持っているけん銃ということで出させて下さい。」、「Kには迷惑をかけんようにしてほしい。」と依頼した。被告人は、Aの右申出を即座に承諾し、Kからけん銃を提出させ、これをA自身が壱岐に隠匿所持していたことにして領置すればよいと考え、C課長とD係長に右のA供述と被告人の考えを伝えた。D係長は、被告人の考えに直ちに賛成し、C課長は、Kを検挙しないことについて懸念を示したものの、被告人とD係長に押し切られる形で右捜査方法を容認した。

(5) 同月四日、被告人、D係長、B巡査部長、早岐警察署警務課留置係長のL(以下「L留置係長」という。)は、Aを連行して壱岐に渡り、被告人とAが豊坂の入院先の病院内で同人と会い、けん銃を渡すよう求めたが、Kは、けん銃は旧陸軍の銃で既に海に捨てたなどと答えるのみであった。

(6) Aは、Kからけん銃を入手できないとわかるや、けん銃を他から入手するので電話をさせてくれるよう被告人に懇願し、被告人は、Aが他から入手したけん銃をAが隠匿所持していたものとして押収することが違法であると認識したものの、けん銃押収の実績を上げるためにはやむを得ないと判断して、その場でこれを受け入れ、Aにテレホンカードを渡し、前記病院内の電話機で電話をさせた。Aは長崎市内に居住するMに電話をして、けん銃が手に入れば恐喝罪の情状がよくなるのでけん銃を調達してほしいと依頼し、被告人のポケットベルを通じるなどしてMと何度か電話を交わした結果、Mが当日の午後七時までに呼子にけん銃を持参し、Aは二〇万円を早急にMに送金することになった。

その後、被告人は、D係長らに対し、Aが長崎の知人からけん銃を調達することになった旨を告げた。一同は午後四時の印通寺港発呼子港行きフェリーに乗船し、その船内において、Aは、被告人からテレホンカードを借りて大分県内に住む姉に電話をかけ、Mの口座に二〇万円を振込むことの確約を得た。

(7) 被告人らは、同日午後五時ころフェリーで呼子港に到着し、まもなくMから被告人のポケットベルに呼じ出しがあったので、Aは、被告人から促されてフェリーターミナル横の公衆電話でMに電話をしたところ、Mからけん銃を早急に手に入れることはできないと告げられたため、けん銃の新たな調達先として福岡市内に居住するEを思い出し、電話でEにけん銃の入手方を依頼してその承諾を取り付け、被告人に対し、翌日福岡の知人からけん銃を入手する段取りができた旨伝えた。被告人は、翌日Aを福岡に連行して同所でAをしてEからけん銃を入手させ、そのけん銃を呼子で発見、領置したかのように装うことにし、その旨をD係長とB巡査部長に伝えた。

(8) 被告人らは、同日午後七時ころ呼子を出発し、同日午後九時ころ早岐警察署に到着した。被告人はC課長に対し、Kからけん銃の提出を受けることはできなかった旨報告した上、Aが福岡の知人からけん銃を入手する段取りがついたので翌日福岡までAを連行し、呼子からけん銃を発見したように装うが、形の上では壱岐へ引き当たり捜査に行ったことにしたい旨を述べた。C課長は、被告人の意見を容認したが、右の偽装工作が発覚するのを懸念して、壱岐にも捜査用車両を渡したらどうかと提案したが、D係長から費用や手間がかかることを理由に反対され、結局、右提案を撤回した。

(9) 翌五日、被告人は、D係長らとともにAを連行して福岡方面に向かい、途中B巡査部長とL留置係長を呼子に向かわせて、けん銃発見場所としてふさわしい場所を捜すよう指示し、D係長、Aとともに、福岡市内でEと落ち合い、Eの乗車する車に先導されて福岡県久留米市内のレストランに赴き、被告人らはAをしてゴルフバッグを受け取らせたが、その中には自首減免規定の適用のない散弾銃が入っていた。そこで、被告人は、Aに対して散弾銃をEに戻すよう促したが、D係長が反対し、既にEが立ち去っていたこともあって、やむを得ずこれを早岐警察署に持ち帰ることとし、途中B巡査部長らと合流して帰署し、C課長に入手したのは散弾銃であった旨を伝えた。

(10) 被告人らは、Kがけん銃を所持しているのではないかという疑いを捨てきれなかったため、翌六日、再度Kから事情を聴取するために壱岐に赴き、Kと接触したが、同人はけん銃所持を否認し続けたため、同人からけん銃を入手することを断念した。

(11) 翌七日、Eから早岐警察署にいた被告人に電話がかかり、けん銃が手に入る旨告げられたので、被告人がAにEからけん銃を入手する意思があるか否かを確認したところ、Aは、けん銃を入手して警察に提出したい旨述べた。そこで、被告人は、AにEと連絡をとらせ、Aは、電話でEにけん銃の入手方を、また、Aの姉に同人がけん銃の代金六〇万円をEに送金するようそれぞれ依頼した。

翌八日、被告人は、けん銃の調達について打ち合わせるため、Aに電話でEと連絡をとらせたところ、翌九日午前一一時にけん銃を授受するとの段取りがついた。被告人は、そのころ、右段取りがついたことをC課長に報告し、その承認を得た。

(12) 翌九日午前一〇時四五分ころ、被告人は、D係長、B巡査部長、H巡査部長とともに、Aを連行してEとの待ち合わせ場所である長崎県佐世保市大塔町所在のロイヤルホスト専用駐車場に赴き、同日午前一一時ころ、捜査用車両に乗った被告人らが監視する中、右駐車場でAがEから本件けん銃及び実包を受取り、Aは直ちにこれを捜査用車両のD係長に手渡した。

被告人らは、同日午後三時ころ、Aを長崎県西彼杵郡西彼町所在の金比羅神社に連行し、Aがけん銃を同神社天井裏に、実包を同神社軒下土中にそれぞれ隠匿していたかのように偽装工作を施して写真撮影等を行った。

2  右に認定したとおり、本件けん銃等譲受けに至る経緯は、被告人ら捜査官が、<1>暴力団関係者で恐喝事件の被疑者であったAに対し、けん銃を任意に提出した形をとれば、恐喝罪による起訴を免れ、たとえ起訴されても刑期が短くなると説得し、<2>Aから、けん銃をKから入手することになっていたとの供述を得て、Kを検挙しないという条件で同人からけん銃を提出させ、あたかもAが隠匿所持していたものを自供により押収したかのように偽装し、銃砲刀剣類所持等取締法三一条の五所定のいわゆる自首減免規定により、同法違反の罪についてはAを不起訴に持込むという捜査方針を決定し、<3>Kからけん銃を入手することができなかったため、なんとかしてけん銃を入手しなければと考えたAから、長崎、次いで福岡の知人と連絡してけん銃を入手したいとの申出を受けてこれを承認し、AがKとは別の新たな相手からけん銃を有償で入手するための交渉をさせ、<4>右交渉により平成七年一〇月五日にEから入手した銃が自首減免規定の適用されない散弾銃であったことから、Aを通じてのけん銃入手が頓挫しかけたものの、<5>同日七日、Eからけん銃を入手できるとの連絡を受け、AにEと交渉させてけん銃入手の手はずを整えさせ、同月九日、本件けん銃等をEから譲り受けた、というものである。

関係各証拠によれば、被告人は、<1>のAに対する説得に際し、確たる根拠も見通しもないままに、けん銃を提出すれば恐喝事件が起訴猶予になる、たとえ起訴されても刑期が短くなるなどと申し向けてAにこれを信じ込ませ、けん銃提出への強い動機を形成させていること、<2>の捜査方法は、A供述が真実であれば、けん銃所持について知情性があることの明らかなKの犯罪を見逃し、銃器犯罪に未だ着手していないAがけん銃を隠匿所持していたとして検挙するなど、犯罪の実体を歪めるとともに、検察官を欺いて自首減免規定の運用を誤らしめるものであって、その違法性は軽くないとみるべきところ、被告人はかかる方法を自ら考え出し、右知情性があると認められるKを検挙しないという捜査方法の当否について懸念するC課長を押し切って捜査方針として決定させていること、<3>の局面において、AがK以外の者から新たにけん銃を、しかも有償で入手することは、従来の捜査方針を大きく逸脱し、従来に比してはるかに違法性が高いことを認識しながら、独断でAの申出を受け入れてけん銃入手の交渉をさせ、入手の見通しがついた後にC課長らに報告してその承認が得ていること、<5>の局面において、Eから、今度は間違いなくけん銃が入手できるとの連絡を受けるや、これまた独断でAにEとの連絡を取らせ、入手の段取りがついた後にC課長に報告してその承認を得ていること、以上の事実が認められ、これらの事実関係に徴すると、本件犯行は終始被告人の主導によって敢行されたものであって、本件捜査の現場における関係者の間では、被告人の刑責が最も重いとみるのが相当である。

これに対し、C課長は、捜査体制上は捜査主任官として被告人を指揮命令すべき立場にあったものの、暴力団や銃器捜査の経験が浅く、被告人が警察本部暴対課から派遣された銃器等捜査の専門家であったことなどから、現実には被告人が独断で決定し、段取りをつけた捜査方針を容認したにとどまり、D係長は、捜査体制上は現場の総括責任者としてC課長に代わって捜査を指揮すべき立場にあったものの、C課長と同様の理由により、現実には被告人を掣肘できる関係にはなく、被告人に追随して本件捜査を実行したものであり、その刑責は、被告人のそれに比していずれも軽いとみるべきである。

被告人は、その作成にかかる陳述書及び当公判廷において、本件けん銃等入手に至るすべての重要な局面において、その都度C課長の指示を仰いでその承認のもとに行動したと供述するが、右供述は、証人C、D及びHの各供述、Hの検察官調書(甲五)、C課長、D係長との関係が悪化し、同課長らを庇うという心境が失われた後の平成八年四月一三日に作成された被告人の検察官調書(乙二)に照らし、到底信用することができない。

3  被告人及びDの各公判供述、被告人(乙二)、C(甲一〇、ただし、不同意部分を除く。)D(甲一、二、ただし、いずれも不同意部分を除く。)の各検察官調書によれば、長崎県警察本部暴対課課長補佐で被告人の直属上司であるF(以下「F補佐」という。)は、平成七年一〇月五日、被告人らがAを連行して早岐警察署を出た後、同警察署に電話をして、C課長に対し、「けん銃はどうなりましたか。」と聞き、これを受けた同課長は、F補佐に対して、Aに関するけん銃捜査について直接報告していなかったため、被告人が報告したものと思ったこと、F補佐は、同日午後四時過ぎころ、被告人らが使用中の捜査用車両に設置されたワイド無線電話で被告人を呼出し、被告人から、「自首減免規定のきかない散弾銃をつかまされてその処分に困っている」旨の報告を受けるや、被告人に対し、「首なし銃で(警察本部の)銃器対策室に届けるようにしたらいい。」と教示したこと、被告人は、その直後、F補佐との電話のやり取りをD係長らに告げたところ、同係長から、なぜF補佐に言ったのかと非難されたため、同補佐には前もって福岡に行ってけん銃を入手すると話していたから、報告しないわけにはいかなかった旨弁解したこと、被告人は、同日、早岐警察署に帰着した後、C課長にEから入手した銃が散弾銃であったことを報告したが、その際、同課長に対し、散弾銃を首なし、すなわち所有者不明として銃器対策室に提出するというのがF補佐の意向である旨告げていること、本件けん銃等の偽装押収工作が関係者からの投書等により発覚しつつあった平成八年一月ころ、F補佐は、D係長に電話をかけて、「あの散弾銃はどうしたか。あれ今でも持っとれば愛媛と一緒のごとなるよ。」と告げ、同係長から、「もうこの世の中に存在しとりません。」との回答を得たこと、以上の事実が認められ、これらの事実関係によれば、F補佐は、少なくとも、被告人らがAをして他からけん銃を入手させ、これをAが隠匿所持していたものとして押収し、Aについては自首減免規定により起訴猶予に持込むという捜査方法について、被告人から報告を受け、これを容認していたものと推認するのが相当である。

Fは、その証人尋問において、平成七年一〇月三日、C課長から、Aが壱岐の友達にけん銃を預けているので、本部の捜査員二名を使って押収に行きたいと連絡があった、それ以上の具体的な方針は聞かなかったが、けん銃を預かっている者に知情性がなく、暴力団員でなければ参考人として処理してもよいと考えており、早岐警察署の捜査現場もそのように考えていると思っていた、同月五日午後四時ころ、被告人らが使用していた捜査用車両にワイド無線で電話したところ、B巡査部長が出て被告人に代わり、けん銃はだめでしたという報告を受け、すぐに電話を切った、同年一二月末に報道関係者から、警察が他から散弾銃を入手したとの投書があったことを聞き、平成八年一月ころ、D係長に散弾銃があるのかどうかと問い合わせたところ、ありませんという回答を得たに過ぎないと供述する。しかし、被告人が、F補佐から入手した散弾銃を所有者不明ということで銃器対策室に提出すればよいと言われたと述べていたことは、C課長及びD係長が一致して供述するところであり、平成七年一〇月五日当時、被告人がFの名前を持出してまでC課長やD係長に散弾銃の処分方法を押しつけなければならないような必要性は全く見出せないのであるから、この点に関する被告人の供述は信用性が高く、Fの前記供述は到底信用できない。また、F補佐が、平成八年一月ころ、本件捜査の過程で散弾銃を入手したことがあったか否かを確認するのであれば、既に警察本部に戻っていた被告人に聞けば足りることであり、わざわざD係長に問い合わせたことについて合理的な説明がつかず、この点に関するFの供述もたやすく信用できない。そうすると、同年一〇月五日当時、F補佐は、被告人らがAをして他からけん銃を入手させ、けん銃所持者を検挙せず、Aについては自首減免規定により起訴猶予に持込むという基本的な捜査方針を被告人から聞いて知っており、そうであるからこそ、偽装押収の情報が報道機関に持込まれた後の平成八年一月ころ、被告人が把握していなかった散弾銃の処分について、D係長に確認し、早急な処分を促そうとしたものと解するのが最も自然かつ合理的である。

4  被告人は、その作成にかかる陳述書及び当公判廷において、F補佐に対しては、本件けん銃等の偽装押収工作のすべてについてその都度具体的に報告し、承認または指示を受けていたと供述するが、これを窺わせる証拠は右各供述のほかに存在せず、これらの供述が被告人の検察官調書(乙二、三)に比してC課長、F補佐の責任をことさらに強調する内容に終始していることに照らしてもその信用性は乏しいというべきである。

5  弁護人は、本件けん銃等の偽装押収工作については、早岐警察署長のほか、暴対課幹部らも承認していたものであり、いわば警察が組織ぐるみで敢行したものであると主張するが、その主張は、警察捜査が現場から上級への報告と上級から現場への指示を基本としていることを根拠にしていると解されるところ、証人Hの供述、捜査報告書(甲七一)、引当たり捜査連絡書の写し(甲七二ないし七四)によれば、本件けん銃等の捜査の警察本部への報告は、Aが壱岐に隠匿所持しているけん銃等の押収捜査という虚偽の内容を記載したものであることが認められるのであるから、職責上これに目を通している早岐警察署長や暴対課幹部らにおいては、これが偽装であることを知るはずもなく、警察幹部らが偽装であることを知っていたと窺わせる証拠は存在しない。もっとも前記認定のとおり、F補佐は本件偽装工作における基本的な捜査方針を知っていたと考えられるが、これを他の幹部に報告していたことを窺わせる証拠はなく、かかる違法な捜査方針をあえて他の幹部に知らせる必要性は通常考えられないことからすると、他の幹部が本件偽装工作を承認していた疑いがあるとみることもできない。

二  量刑の判断

本件は、判示のとおり、長崎県警察本部から早岐警察署に応援派遣された被告人が、けん銃の摘発の実績を上げるために、早岐警察署の課長及び係長並びに勾留中の被疑者と共謀して、右被疑者の知人からけん銃一丁とけん銃実包九個を譲り受けた事案である。

被告人は、長崎県警察本部刑事部暴力団対策課暴力犯捜査第一係長という要職にありながら、銃砲刀剣類所持等取締法所定の自首減免規定を悪用して、警察の支配下にあって重罰をなんとか回避したいという心境にある被疑者に対し、けん銃を提出すれば起訴を免れ、起訴されても刑期が短くなると持ちかけて、けん銃入手に向けての強い動機を形成させ、前記のような違法な捜査方法を考え出した上、本件けん銃等の偽装押収に至るまで、終始主導的に本件犯行を敢行したものである。また、本件犯行後、関係者らの報道機関への投書等から偽装工作の疑惑が表面化し、警察内部で調査が開始された時点においても、本件偽装工作に加担した警察官や右被疑者と口裏合わせをするなどして犯行の隠蔽工作をしているのであり、本件犯行の経緯、態様、犯行後の行動のいずれにおいても犯情悪質である。

近時、けん銃を使用した凶悪犯罪が多発し、けん銃の摘発が喫緊の国民的課題となっていて、警察組織が適切かつ厳正な捜査を行うことによりけん銃の摘発がなされ、けん銃を利用した凶悪犯罪を撲滅することが強く期待されていることは論をまたないところである。

しかし、同時に、警察組織が、あらゆる捜査手法を駆使しながら、法の定めるところに従って適正な捜査活動を展開することにより、その職責を果たすべきことは法治主義において当然の事柄であり、かかる警察活動にこそ社会的な信頼が寄せられることも明らかである。

本件は警察の銃器捜査に対する社会的親頼を損なったばかりでなく、代用監獄に勾留された被疑者の身柄の取扱い、代用監獄における捜査と留置の分離、接見禁止命令の実効性など、刑事司法手続きの運用に関しても深刻な疑念もしくは不信を引き起こしたものであって、本件けん銃等が社会から消えたという結果的事実とは比ぶべくもないほどの悪影響をもたらしたものというべきである。

以上の諸点に照らすと、被告人の刑事責任は重いといわざるを得ない。

しかし、他方、被告人は本件により懲戒免職処分となって、これまで長年にわたり警察官として真面目に勤務し、この間に築き上げてきた実績が水泡に帰してしまうという社会的制裁を受けていることなど被告人に酌むべき事情も認められ、捜査主任官として被告人を指揮していたC課長、現場のとりまとめ役であったD係長、被告人の上司で本件の違法な捜査方法を知っていたと思われるF補佐などの幹部警察官にも相応の責任があること、本件捜査をめぐるこのような幹部警察官の態度からすると、けん銃摘発のためには不当ないし違法な捜査もやむを得ないとして見過ごす弊風が警察内部に生じていたと窺われること、自首減免規定の新設により、被疑者との取引によるけん銃等押収の危険性が生じ、現実にも、けん銃等の偽装押収の事例が散見されるにもかかわらず、警察組織を上げて、けん銃押収にからむ違法捜査防止のための対策が講じられていたとは見受けられないことなどの諸点に照らすと、本件犯行の責任を被告人一人に負わせるのは酷な面があることは否定できず、本件の共謀者であるC課長及びD係長が起訴猶予となっていることも被告人にとって有利に斟酌すべきものである。

そこで、以上に述べた諸般の事情を考慮し、被告人に主文の刑を科した上、その刑の執行を猶予することとする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 仲家暢彦 裁判官 山本和人 裁判官 武野康代)

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